長崎日大 スズキ・メソード バイオリンアカデミー

能力と遺伝

「才能」という言葉は、「生まれつき持った高い能力」というように解釈されていると思います。
近澤は「才能」の定義を「生後その環境において、刺激や繰り返しによって育つところのすべての能力」としています。





すなわち、生まれつきではなく、その人の環境に依存するもの、また、優れたものだけでなく、下手なものも才能だと思っています。
「刺激や繰り返しによって育つ」つまり、どんな刺激かが大事なのです。
そこには、美しいとか、汚いとか、善悪もなく、与えられたものを受け取って、どこへでも伸びていく姿があります。
どんな刺激を繰り返すのか。

このことは、少なくとも文化的能力には当てはまります。
文化的能力とは、言葉遣いとか、立ち居振る舞いとか、発展すれば、音楽的センス、文字のバランス、などが挙げられます。

近澤は、運動能力についても、文化的能力、つまり、後天的、環境に左右されるところが大きいと思っています。
運動能力とは、走る、跳ぶ、泳ぐ、投げるなどに加えて、書くこと(描くこと)、料理、果ては箸の持ち方といった、身体を使うこと全般を指します。当然話すことも、楽器を演奏することも含まれます。
まず、走ることや泳ぐこと、先に挙げた、運動の基本と、書くことや箸を持つということは同じことだと捉えていて、結局は訓練次第で(ある程度まで)伸びます。
オリンピック選手程ではないとはいえ、早く走る(泳ぐ、etc)ことはできますし、僕たちはアルファベットを書くことも、アジア人でなくても箸を使って食事をすることもできます。

つまり、競技全般と器楽演奏や料理が同義であることもわかるかと思います。
器楽演奏も(歌唱も)身体のコントロールによって、包丁さばきも訓練で手際よくなるし、日本人には難しいRとLの発音の違いも、要は唇と舌の動きです。

しかし、演奏や料理、言葉を話すことを運動能力と捉える人は少ないと思います。
理由は、演奏や料理、言語は感覚的(センス)なものと一般に思われているからではないでしょうか。
もちろん、センスが大事です。しかし、身体を使うこともまた事実です。
2つそろっていい音楽(料理・会話)が成立するはずです。
センスは生まれ持ったものではなく、育てるものです。音楽の表現、料理の味付け、言葉のイントネーション、文字のクセ、、、。時代、地域等によって変化するものは生まれつきとは言い難いです。

文化的能力も、運動能力も、後天的に、環境によって左右されます。

そうすると、遺伝とはなにか、と思います。
骨格的なもの、でしょう。あるいは、脳の大きさとか。太りやすいというのもあるようです。
さて、極端な話ですが、栄養が十分に行き届かない子どもは発達が遅れます。
また、乳児期に話しかけることが、その成長に影響を与えることもわかっています。
食生活や生活習慣によって筋肉に筋肉のつき方は変わってくるでしょうし、筋肉のつき方が違えば、骨格も変わってくるでしょう。
さて、遺伝とは何でしょうか。

遺伝を否定するつもりはまったくありませんし、遺伝はあります。
しかし、その人が育った姿を見て、「才能があった」とか、「プロにするために才能を伸ばそう」とか、そういうのが好きではないのです。

少なくとも現在の科学では、生まれ持った才能の有無、その見つけ方はわかっていないはずです。
ならば、子どもが幸せになるように育てるだけですし、
もし、子どもに才能がないことがわかったら?育てることをやめますか?あるいは、教育に労力を費やすのは無駄だからと、仕事をさせますか?
そんなはずはありません。わが子の幸せを願うはずです。
わが子が幸せになるために努力を惜しまないはずです。

僕は、生まれ持ったものの有無はどちらでもいいと思っています。
どうしたら子どもが幸せになるか。それが本当の教育ではないでしょうか。

つづく
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by ug_tikka | 2010-05-23 23:55 | 雑感

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